2011年3月1日火曜日

とんでもなさ加減



とんでもなさ加減がわかりにくいので、写真を追加。

先々週は、上側の写真のところにいたし…生活が落ち着きません…
連絡もしなくてはならないのに。

天地の理


古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉う。その家を斉えんと欲する者は、先ずその身を修む。その身を修めんと欲する者は、先ずその心を正しくす。その心を正しくせんと欲する者は、先ずその意を誠にす。その意を誠にせんと欲する者は、先ずその知を致す。知を致すは物に格るに在り。------「大学」
物に格るとは事物の理を窮極することなり。

とすると、本来の意味とは違うのだろうけれど、
「我、天地の理を究め、天地の理を行ふ。天地亦我を守る。何をか迷い何をかおそれん」----「植芝盛平」
といったところに共通するものを感じます。

写真のような、とんでもない場所でも、生える雑草は同じ。

2010年12月25日土曜日

思いやる心

旅から旅の生活が続いている。
ワシントン、アトランタ、シカゴ、ロス...

2010年11月23日火曜日

思い

もし、自分でダメだと思えば、ダメになってしまう。
しかし、自分は違うんだと思えば、がんばることもできる。
勝ちたいのだが、勝てそうもないと思えば、十中八九勝てない。
初めから負けると思っていれば、絶対に勝つことは出来ない。

この世のことに限らず、成功・不成功はすべて人の思いから始まる。
すべては思い次第である。

この世には、その第一歩を踏み出す前から敗れているレース、
仕事にかかる前から失敗している臆病者がなんと多いことか。

大きな思いは行いを向上させ、小さな思いは人を萎縮させる。
自分には何ができ、何をしたいのか、すべては思い次第である。

自分を優れた者と思えば、その様になる。
自分を高めるには、そのような思いを抱かなければならなくなる。
賞を得たいと思えば、自分に先ずその確信がなければならない。

人生の戦いは、必ずしも強いもの、早いものが勝つのではない。

最後の勝利者となるのは・・・いつも自分には出来ると考えている人である。

                          by D ウォルトン

2010年10月22日金曜日

ピモント公園

という公園の早朝。

アトランタはあまり治安の良い街とは言えませんが、
月を写す水のように、稽古をしていくことです。

アトランタ

アトランタです。
どこに居ても、稽古ができるように稽古することが肝要でしょう。

2010年9月21日火曜日

虹の彼方

幸福とは空に舞う蝶のようなもの

求めあぐねる心を捨て

唯、自分の心を平和にし

自分の心の花を咲かせるならば

幸福の蝶は汝の肩にとまるであろう。

2010年8月31日火曜日

慈雨

楽毅を読んだりする。
どんどん、状況に一致してくる。

2010年6月28日月曜日

捻りと真っ直ぐ

海が雲丹だらけ。

それはともかく、抑えられた腕をあげる稽古。
いろいろなやり方があることを改めて認識した。
不快に思う方がいるので技は解説したりしない。

ただ、ここまで求めることは不要かもしれない。

ただ、ありがとう。
水曜日の朝まで横浜、東京にいます。

ただ、来年1月まで正式には帰れないことがきまりました。