こんなことは、稽古では言わないし、
こういう言い方をするのは、あまり好きではないけれど、
どうにも書かねば気持ちの収まりがつかない。
誰かを意識しているわけではない。
ただ、技を工夫しているうちに、ふと思い、
何かに駆られるようにして、これを書いている。
そういえば、七月のあの日も、
何も知らずに、
こんな風に何かに駆られて書いていた…
合気道は、
争いを否定する。ゆえに、試合がない。
そして、他流の否定も否定する。
なぜだろうか?
比べたい、相手を否定したい。相手を打ち負かし、勝ちたい。
それは、多くの人間の性です。
社会で生きていくということは、争いになっていました。
しかし、何かを否定するということは、
己自身の心の有様を
そのまま否定しているということになるからでしょう。
世の中の様々な争いごとや誹謗中傷は、
自分自身と争い、自分自身を誹謗中傷していることの表れです。
争いごとの表れは、戦争だけではなく、
世の中のあらゆる競争、議論、論争、攻撃、批判、縄張り意識など、
すべては、ある種の戦争なのです。
だから、まずは一人一人の心の中に平和を築かないかぎり、
世の中から戦いは永久になくなりません。
他人のあり方や他人のブログを
攻撃したり、批判をしたり、警告を発したりするのは、簡単です。
ですが、それは新しい時代ではもはや通用しない
旧時代の人々の古い思考です。
それは、実際には自分自身である相手を殺しまくる道です。
殺し合いの螺旋から降りなくては、
いつかは自分が殺されて終わりますし、
勝っても、結局は自分自身を殺していることに他なりません。
もう、力の時代は終わりかけています。
人を否定してばかりでは、いけない。
勝ちたい、相手を否定したい、
そんな自己に打ち克つのです。
そうすれば、敵はなくなるでしょう。
「合気とは愛なり、天地の心を以って我が心とし、万有愛護の大精神を以って
自己の使命を完遂することこそ、武の道であらねばならぬ。
合気とは、自己に打ち克ち、
敵をして戦う心なからしむ、否、敵そのものをなくする
絶対的自己完成の道なり。
而して、武技は天の理法を体に移し、
霊肉一体の至上境に至るの業であり、道程である。」---植芝盛平
「世界平和」---
いろいろあるので、とりあえず
重陽(9月9日)までは、更新を控えるつもりです。
2009年8月27日木曜日
昨日の稽古
構え
人体を剛体としてみた場合、重心位置は6:4のようであるが、
脚の負担する分は6:4ではないかもしれない。ということ。
骨格で支えることと、筋肉で支えることの違い。
バランスをとるということ。
両手持ち側面入り身投げ2
体の変更1は、脚で動いているのではないかもしれない。ということ。
両手の働き。
力を入れずに、動くこと。
無理な力を入れないこと。
両手とも、最初から最後まで、無駄働きをしていないこと。
順序良く動くこと。
胸持ち二ヶ条抑え2
押されても、一向に構わないこと。
フワリと、しかし、しっかりと抑えること。
小手の返し方。
そして、時間切れ。
などを説明しながら、一緒に理解していった。
全ては、呼吸力と体さばきに集約できる。かもしれない。
少人数だから出来ることである。
今日、書いてあることは、読んでも分からないと思う。
一緒に稽古した人以外は。
「あせることを捨てよ。
取り越し苦労を捨てよ。
俗に言う、阿呆馬鹿になれ。
十を考えて迷うより、一つに精進して仕上げよ。
暇あらばよく寝よ。」---植芝盛平
はい、寝ます。
人体を剛体としてみた場合、重心位置は6:4のようであるが、
脚の負担する分は6:4ではないかもしれない。ということ。
骨格で支えることと、筋肉で支えることの違い。
バランスをとるということ。
両手持ち側面入り身投げ2
体の変更1は、脚で動いているのではないかもしれない。ということ。
両手の働き。
力を入れずに、動くこと。
無理な力を入れないこと。
両手とも、最初から最後まで、無駄働きをしていないこと。
順序良く動くこと。
胸持ち二ヶ条抑え2
押されても、一向に構わないこと。
フワリと、しかし、しっかりと抑えること。
小手の返し方。
そして、時間切れ。
などを説明しながら、一緒に理解していった。
全ては、呼吸力と体さばきに集約できる。かもしれない。
少人数だから出来ることである。
今日、書いてあることは、読んでも分からないと思う。
一緒に稽古した人以外は。
「あせることを捨てよ。
取り越し苦労を捨てよ。
俗に言う、阿呆馬鹿になれ。
十を考えて迷うより、一つに精進して仕上げよ。
暇あらばよく寝よ。」---植芝盛平
はい、寝ます。
2009年8月25日火曜日
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