2010年4月20日火曜日
2010年1月3日日曜日
昨年の稽古納めに思ったこと
昨年、稽古納めの日に、その日が稽古納めだと、気づいていなかった。
もちろん12月であったし、その年最後の稽古である可能性はあったのだけれど・・・
迷ったとき、相手が弱すぎてかからないときの考え方…成長の仕方。
そんなことが見えてきていた。
だから、稽古自体が面白くて、楽しくて…
最後だとか、稽古納めだとか考えていなかった。
ふと、終わって帰ってきて、洗濯しているときに気づいた。
今年最後の稽古だったのだ。と。
その瞬間、何かを感じた。
毎年、「稽古納め」です。としてやってきていた。
ケジメだの、区切りだの といってやってきていた。
でも、この世からさようならのとき。
それは、今日かもしれないし、60年くらい後かもしれない。
とにかくそのときに、後で、気づくのかもしれない。
あれが、最後の稽古だったのだ。と。
毎日を成長と捉えて、生きていく。
あー、まだまだだなぁ、邪念の塊だなぁ…
絶対的自己完成の道半ばだなぁ…
なんて思いながら稽古していて、最後の稽古を迎えるのだろう。
その日まで、日々成長していきたい。
もちろん12月であったし、その年最後の稽古である可能性はあったのだけれど・・・
迷ったとき、相手が弱すぎてかからないときの考え方…成長の仕方。
そんなことが見えてきていた。
だから、稽古自体が面白くて、楽しくて…
最後だとか、稽古納めだとか考えていなかった。
ふと、終わって帰ってきて、洗濯しているときに気づいた。
今年最後の稽古だったのだ。と。
その瞬間、何かを感じた。
毎年、「稽古納め」です。としてやってきていた。
ケジメだの、区切りだの といってやってきていた。
でも、この世からさようならのとき。
それは、今日かもしれないし、60年くらい後かもしれない。
とにかくそのときに、後で、気づくのかもしれない。
あれが、最後の稽古だったのだ。と。
毎日を成長と捉えて、生きていく。
あー、まだまだだなぁ、邪念の塊だなぁ…
絶対的自己完成の道半ばだなぁ…
なんて思いながら稽古していて、最後の稽古を迎えるのだろう。
その日まで、日々成長していきたい。
2010年1月2日土曜日
2009年11月15日日曜日
2009年10月6日火曜日
ブログと電子掲示板の違い
合気道とは、全く関係のない話で、
当たり前のことで、大変面白くない内容ですが、
おそらくはつまらない誤解から、きな臭いにおいを感じているので、書いてみます。
wikipediaによると、電子掲示板とは
****************引用************************
電子掲示板(でんしけいじばん、BBS、英語: Bulletin Board System)とは、コンピュータネットワークを使用した環境で、記事を書き込んだり、閲覧したり、コメント(レス)を付けられるようにした仕組みのことである。単に「掲示板」と呼んだり、英語表記の略語で "BBS" と呼んだりする。
電子掲示板を利用すると、情報交換や会話・議論などを行うことができる。主に、パソコン通信やインターネットのウェブなどの上で実装される。あたかも掲示板を電子的に実現したようなものであることから、「電子掲示板」と名付けられた。
インターネット上の電子掲示板は、インターネットコミュニティ(※)の一種である。
個人がウェブサイトに開設するなど小規模なものから、2ちゃんねる、mixiのように、電子掲示板を集めて一つのウェブサイトとして発展させ、現実社会に影響を与える大規模なものまで、様々な電子掲示板が存在する。また、学校や企業内で特定のメンバーのみが利用するもの、不特定多数が利用するものなど、設定によっても利用方法は異なってくる。
インターネットコミュニティは、WWW等のインターネットのアプリケーションを通じて共通の関心分野、価値観や目的を持った利用者が集まって持続的に相互作用する場であり、提供されるウェブサービスの総称。
****************引用ここまで************************
一方、ブログとは、Wikipediaによると
****************引用************************
ブログ (Blog) とは、狭義にはWorld Wide Web上のウェブページのURLとともに覚え書きや論評などを加えログ(記録)しているウェブサイトの一種である。「WebをLogする」という意味でWeblog(ウェブログ)と名付けられ、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになった。
ブログの始まりは、自分が気になったニュースやサイトなどのURLを、寸評つきで紹介した英語のウェブサイトとされる。その後、Blogger、Movable Typeなどのブログ用のツールが出現し、本格的な拡大が始まった。米英によるイラク侵攻においてイラクから更新されるブログが話題となり、その知名度を大きく引き上げる結果となった。
現在、より頻繁に用いられている広義には作者の個人的な体験や日記、特定のトピックに関する必ずしもウェブに限定されない話題などのような、時系列で比較的頻繁に記録される情報についてのウェブサイト全般を含めてブログと呼称する。このようなウェブサイトの作成機能を提供するソフトウェアやサービスなどを指して呼ぶ場合もある。また、ブログの他にもSNSや口コミサイトを総称してCGMと呼ぶこともある。
ウェブサイトとしての体裁は主として管理者が記事を投稿する私的ニュースサイト、あるいは日記的なものが多い。ブログを投稿する特定の方法に限定されないが、ブログ向けのソフトウェアやwebスペースがあり、それをダウンロードやレンタルして使えば、HTMLを知らなくても自身のブログとしてウェブブラウザから手軽に情報の発信・更新ができる。レンタルのものにはパソコン以外に携帯電話などモバイル通信端末のインターネット機能を用いた外出先などからの手軽な更新が可能な仕様のものも多い。それぞれの項目にはタイトルの付与が可能で、時間軸やカテゴリで投稿を整理、分類する構造となっている。用途は幅広く、個人の日記的なものから、手軽な意見表明の場として、時事問題などについて論説するものがある。また、企業やクリエイター集団が、対外的な活動日誌などという位置づけで自社公式サイト内でブログを公開している事も多い。
****************引用ここまで************************
ということである。
簡単に言えば、
掲示板・・・「掲示板」は相互に意見を交換し、雑談をする場所。
多くの場合、感情をぶつけあうことになる。
ブログ・・・「blog」は、自分の意見を書く場所。
ということです。
つまり、この「Blog」を読んで不適切な表現があるとか、誰かの権利を侵害していると思うならば、
右にメールアドレスを晒しているのですから、そこに連絡していただくか、あるいは、Blogger.comに警告のフラグを立てていただけば良いのです。
あるいは、恥ずかしがり屋さんだったならば、
いまどき珍しく、コメント欄を開放していますので、コメントに書いていただければ良いのです。
当ブログの場合、何度か、自分で「間違って」不適切フラグを立ててしまいましたが、
現在のところ、問題なく運営できています。
一方、掲示板の場合、
不適切な表現があるとか、誰かの権利を侵害しているならば、
管理人に連絡するか、掲示板のレンタル元に連絡すれば良いのです。
もっと、簡単な方法として、
読んで不愉快ならば、単にアクセスしなければ良いのです。
このブログは、更新したいときに更新します。
当たり前のことです。
当たり前のことで、大変面白くない内容ですが、
おそらくはつまらない誤解から、きな臭いにおいを感じているので、書いてみます。
wikipediaによると、電子掲示板とは
****************引用************************
電子掲示板(でんしけいじばん、BBS、英語: Bulletin Board System)とは、コンピュータネットワークを使用した環境で、記事を書き込んだり、閲覧したり、コメント(レス)を付けられるようにした仕組みのことである。単に「掲示板」と呼んだり、英語表記の略語で "BBS" と呼んだりする。
電子掲示板を利用すると、情報交換や会話・議論などを行うことができる。主に、パソコン通信やインターネットのウェブなどの上で実装される。あたかも掲示板を電子的に実現したようなものであることから、「電子掲示板」と名付けられた。
インターネット上の電子掲示板は、インターネットコミュニティ(※)の一種である。
個人がウェブサイトに開設するなど小規模なものから、2ちゃんねる、mixiのように、電子掲示板を集めて一つのウェブサイトとして発展させ、現実社会に影響を与える大規模なものまで、様々な電子掲示板が存在する。また、学校や企業内で特定のメンバーのみが利用するもの、不特定多数が利用するものなど、設定によっても利用方法は異なってくる。
インターネットコミュニティは、WWW等のインターネットのアプリケーションを通じて共通の関心分野、価値観や目的を持った利用者が集まって持続的に相互作用する場であり、提供されるウェブサービスの総称。
****************引用ここまで************************
一方、ブログとは、Wikipediaによると
****************引用************************
ブログ (Blog) とは、狭義にはWorld Wide Web上のウェブページのURLとともに覚え書きや論評などを加えログ(記録)しているウェブサイトの一種である。「WebをLogする」という意味でWeblog(ウェブログ)と名付けられ、それが略されてBlog(ブログ)と呼ばれるようになった。
ブログの始まりは、自分が気になったニュースやサイトなどのURLを、寸評つきで紹介した英語のウェブサイトとされる。その後、Blogger、Movable Typeなどのブログ用のツールが出現し、本格的な拡大が始まった。米英によるイラク侵攻においてイラクから更新されるブログが話題となり、その知名度を大きく引き上げる結果となった。
現在、より頻繁に用いられている広義には作者の個人的な体験や日記、特定のトピックに関する必ずしもウェブに限定されない話題などのような、時系列で比較的頻繁に記録される情報についてのウェブサイト全般を含めてブログと呼称する。このようなウェブサイトの作成機能を提供するソフトウェアやサービスなどを指して呼ぶ場合もある。また、ブログの他にもSNSや口コミサイトを総称してCGMと呼ぶこともある。
ウェブサイトとしての体裁は主として管理者が記事を投稿する私的ニュースサイト、あるいは日記的なものが多い。ブログを投稿する特定の方法に限定されないが、ブログ向けのソフトウェアやwebスペースがあり、それをダウンロードやレンタルして使えば、HTMLを知らなくても自身のブログとしてウェブブラウザから手軽に情報の発信・更新ができる。レンタルのものにはパソコン以外に携帯電話などモバイル通信端末のインターネット機能を用いた外出先などからの手軽な更新が可能な仕様のものも多い。それぞれの項目にはタイトルの付与が可能で、時間軸やカテゴリで投稿を整理、分類する構造となっている。用途は幅広く、個人の日記的なものから、手軽な意見表明の場として、時事問題などについて論説するものがある。また、企業やクリエイター集団が、対外的な活動日誌などという位置づけで自社公式サイト内でブログを公開している事も多い。
****************引用ここまで************************
ということである。
簡単に言えば、
掲示板・・・「掲示板」は相互に意見を交換し、雑談をする場所。
多くの場合、感情をぶつけあうことになる。
ブログ・・・「blog」は、自分の意見を書く場所。
ということです。
つまり、この「Blog」を読んで不適切な表現があるとか、誰かの権利を侵害していると思うならば、
右にメールアドレスを晒しているのですから、そこに連絡していただくか、あるいは、Blogger.comに警告のフラグを立てていただけば良いのです。
あるいは、恥ずかしがり屋さんだったならば、
いまどき珍しく、コメント欄を開放していますので、コメントに書いていただければ良いのです。
当ブログの場合、何度か、自分で「間違って」不適切フラグを立ててしまいましたが、
現在のところ、問題なく運営できています。
一方、掲示板の場合、
不適切な表現があるとか、誰かの権利を侵害しているならば、
管理人に連絡するか、掲示板のレンタル元に連絡すれば良いのです。
もっと、簡単な方法として、
読んで不愉快ならば、単にアクセスしなければ良いのです。
このブログは、更新したいときに更新します。
当たり前のことです。
2009年10月3日土曜日
2009年9月25日金曜日
2009年9月19日土曜日
なすべきことを
武道をすることで、
特別なことをしている
という意識を持ったりすることは、必要ないのではないかと思う。
それは突き詰めていけば、カルトと変わらない。
それで、生活する人は、
武道ではなく、商道をしているのだろう。
それはそれ。そういう生き方をする者はそうすれば良い。
だから、この前の呼吸法の先生のような者を一概に責めることはしない。
今のところ、その道に進むつもりはない。
我々は、なすべきことを
楽しく、普通の言葉で、普通の生活でしていくことしかない。
それを、先人はこんな言葉で言ったらしい。
「御親の神業」---植芝盛平
「自己の使命を完遂することこそ、武の道であらねばならぬ」---植芝盛平
さようなら。
特別なことをしている
という意識を持ったりすることは、必要ないのではないかと思う。
それは突き詰めていけば、カルトと変わらない。
それで、生活する人は、
武道ではなく、商道をしているのだろう。
それはそれ。そういう生き方をする者はそうすれば良い。
だから、この前の呼吸法の先生のような者を一概に責めることはしない。
今のところ、その道に進むつもりはない。
我々は、なすべきことを
楽しく、普通の言葉で、普通の生活でしていくことしかない。
それを、先人はこんな言葉で言ったらしい。
「御親の神業」---植芝盛平
「自己の使命を完遂することこそ、武の道であらねばならぬ」---植芝盛平
さようなら。
2009年9月15日火曜日
任せて、捉える
任せて、捉える稽古をしている。
そこで、任せるということを考えてみると、
西洋と東洋の死生観にまでつながってしまったので、
ここに書くことは止める。
とにかく、任せきるということ、で、捉えるということは、
日本国憲法を保持することと同じように、
分かっていても、できない人には、
なかなかできない…
「敵をして、戦う心なからしむ、否、敵そのものをなくする、絶対的自己完成の道也」---植芝盛平
「合気道の極意は、己の邪気をはらい、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。合気の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり『我は即ち宇宙』なのである。宇宙の心とは何か、偉大なる『愛』である。『愛』に争いはない。『愛』に敵はない。何者かを敵とし、何者かと争う心はすでに宇宙の心ではないのである。宇宙の心と一致しない人間は、宇宙の動きと調和できない。宇宙の動きと調和できない人間の武は、破壊の武であって真の武ではない。」---植芝盛平
宇宙だの何だのって、あやしい感じだけれど、
それを物理法則であり、人間のあり方だと思えば、それほど怪しくもない。
それに、それを言いはじめたら、大人気のWiiやファミコンのメーカーさんの、
ニンテンドーは、任天堂って言って、(運を)天に任せる。
…あやしいですか?ちっとも、あやしくないですね(笑)
世界的に人気のない合気道なんていう、
マイナーな武道の人がいうから、怪しいわけですが…
そこで、任せるということを考えてみると、
西洋と東洋の死生観にまでつながってしまったので、
ここに書くことは止める。
とにかく、任せきるということ、で、捉えるということは、
日本国憲法を保持することと同じように、
分かっていても、できない人には、
なかなかできない…
「敵をして、戦う心なからしむ、否、敵そのものをなくする、絶対的自己完成の道也」---植芝盛平
「合気道の極意は、己の邪気をはらい、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。合気の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり『我は即ち宇宙』なのである。宇宙の心とは何か、偉大なる『愛』である。『愛』に争いはない。『愛』に敵はない。何者かを敵とし、何者かと争う心はすでに宇宙の心ではないのである。宇宙の心と一致しない人間は、宇宙の動きと調和できない。宇宙の動きと調和できない人間の武は、破壊の武であって真の武ではない。」---植芝盛平
宇宙だの何だのって、あやしい感じだけれど、
それを物理法則であり、人間のあり方だと思えば、それほど怪しくもない。
それに、それを言いはじめたら、大人気のWiiやファミコンのメーカーさんの、
ニンテンドーは、任天堂って言って、(運を)天に任せる。
…あやしいですか?ちっとも、あやしくないですね(笑)
世界的に人気のない合気道なんていう、
マイナーな武道の人がいうから、怪しいわけですが…
2009年9月12日土曜日
呼吸法
社内研修で、「呼吸法」の先生が来た。
ものすごく高いテンションでいろいろなことを言っていた。
そんなに吠えなくても、分かる人にはわかるし、
分からない人には、できないよ。
と思っていたのだが、
冷静に考えれば、
その人は、それで生活しているのだから、
やむをえないんだろう。
単に、それ自体がすばらしいと思ってするのか、
それで、食うためにするのか。
その違いだろう。
合気道の呼吸法の話だと思った方、ごめんなさい。
精進は皆一に帰す。故に武人の精進のみに片寄らず、
一切の日常茶飯事に武の本義を悟れ。
時節因縁到来すれば、必ず精進している者の心が開ける。
精進は油断は禁物である。---植芝盛平
ものすごく高いテンションでいろいろなことを言っていた。
そんなに吠えなくても、分かる人にはわかるし、
分からない人には、できないよ。
と思っていたのだが、
冷静に考えれば、
その人は、それで生活しているのだから、
やむをえないんだろう。
単に、それ自体がすばらしいと思ってするのか、
それで、食うためにするのか。
その違いだろう。
合気道の呼吸法の話だと思った方、ごめんなさい。
精進は皆一に帰す。故に武人の精進のみに片寄らず、
一切の日常茶飯事に武の本義を悟れ。
時節因縁到来すれば、必ず精進している者の心が開ける。
精進は油断は禁物である。---植芝盛平
2009年8月29日土曜日
勝負
こんなことは、稽古では言わないし、
こういう言い方をするのは、あまり好きではないけれど、
どうにも書かねば気持ちの収まりがつかない。
誰かを意識しているわけではない。
ただ、技を工夫しているうちに、ふと思い、
何かに駆られるようにして、これを書いている。
そういえば、七月のあの日も、
何も知らずに、
こんな風に何かに駆られて書いていた…
合気道は、
争いを否定する。ゆえに、試合がない。
そして、他流の否定も否定する。
なぜだろうか?
比べたい、相手を否定したい。相手を打ち負かし、勝ちたい。
それは、多くの人間の性です。
社会で生きていくということは、争いになっていました。
しかし、何かを否定するということは、
己自身の心の有様を
そのまま否定しているということになるからでしょう。
世の中の様々な争いごとや誹謗中傷は、
自分自身と争い、自分自身を誹謗中傷していることの表れです。
争いごとの表れは、戦争だけではなく、
世の中のあらゆる競争、議論、論争、攻撃、批判、縄張り意識など、
すべては、ある種の戦争なのです。
だから、まずは一人一人の心の中に平和を築かないかぎり、
世の中から戦いは永久になくなりません。
他人のあり方や他人のブログを
攻撃したり、批判をしたり、警告を発したりするのは、簡単です。
ですが、それは新しい時代ではもはや通用しない
旧時代の人々の古い思考です。
それは、実際には自分自身である相手を殺しまくる道です。
殺し合いの螺旋から降りなくては、
いつかは自分が殺されて終わりますし、
勝っても、結局は自分自身を殺していることに他なりません。
もう、力の時代は終わりかけています。
人を否定してばかりでは、いけない。
勝ちたい、相手を否定したい、
そんな自己に打ち克つのです。
そうすれば、敵はなくなるでしょう。
「合気とは愛なり、天地の心を以って我が心とし、万有愛護の大精神を以って
自己の使命を完遂することこそ、武の道であらねばならぬ。
合気とは、自己に打ち克ち、
敵をして戦う心なからしむ、否、敵そのものをなくする
絶対的自己完成の道なり。
而して、武技は天の理法を体に移し、
霊肉一体の至上境に至るの業であり、道程である。」---植芝盛平
「世界平和」---
いろいろあるので、とりあえず
重陽(9月9日)までは、更新を控えるつもりです。
こういう言い方をするのは、あまり好きではないけれど、
どうにも書かねば気持ちの収まりがつかない。
誰かを意識しているわけではない。
ただ、技を工夫しているうちに、ふと思い、
何かに駆られるようにして、これを書いている。
そういえば、七月のあの日も、
何も知らずに、
こんな風に何かに駆られて書いていた…
合気道は、
争いを否定する。ゆえに、試合がない。
そして、他流の否定も否定する。
なぜだろうか?
比べたい、相手を否定したい。相手を打ち負かし、勝ちたい。
それは、多くの人間の性です。
社会で生きていくということは、争いになっていました。
しかし、何かを否定するということは、
己自身の心の有様を
そのまま否定しているということになるからでしょう。
世の中の様々な争いごとや誹謗中傷は、
自分自身と争い、自分自身を誹謗中傷していることの表れです。
争いごとの表れは、戦争だけではなく、
世の中のあらゆる競争、議論、論争、攻撃、批判、縄張り意識など、
すべては、ある種の戦争なのです。
だから、まずは一人一人の心の中に平和を築かないかぎり、
世の中から戦いは永久になくなりません。
他人のあり方や他人のブログを
攻撃したり、批判をしたり、警告を発したりするのは、簡単です。
ですが、それは新しい時代ではもはや通用しない
旧時代の人々の古い思考です。
それは、実際には自分自身である相手を殺しまくる道です。
殺し合いの螺旋から降りなくては、
いつかは自分が殺されて終わりますし、
勝っても、結局は自分自身を殺していることに他なりません。
もう、力の時代は終わりかけています。
人を否定してばかりでは、いけない。
勝ちたい、相手を否定したい、
そんな自己に打ち克つのです。
そうすれば、敵はなくなるでしょう。
「合気とは愛なり、天地の心を以って我が心とし、万有愛護の大精神を以って
自己の使命を完遂することこそ、武の道であらねばならぬ。
合気とは、自己に打ち克ち、
敵をして戦う心なからしむ、否、敵そのものをなくする
絶対的自己完成の道なり。
而して、武技は天の理法を体に移し、
霊肉一体の至上境に至るの業であり、道程である。」---植芝盛平
「世界平和」---
いろいろあるので、とりあえず
重陽(9月9日)までは、更新を控えるつもりです。
2009年8月27日木曜日
昨日の稽古
構え
人体を剛体としてみた場合、重心位置は6:4のようであるが、
脚の負担する分は6:4ではないかもしれない。ということ。
骨格で支えることと、筋肉で支えることの違い。
バランスをとるということ。
両手持ち側面入り身投げ2
体の変更1は、脚で動いているのではないかもしれない。ということ。
両手の働き。
力を入れずに、動くこと。
無理な力を入れないこと。
両手とも、最初から最後まで、無駄働きをしていないこと。
順序良く動くこと。
胸持ち二ヶ条抑え2
押されても、一向に構わないこと。
フワリと、しかし、しっかりと抑えること。
小手の返し方。
そして、時間切れ。
などを説明しながら、一緒に理解していった。
全ては、呼吸力と体さばきに集約できる。かもしれない。
少人数だから出来ることである。
今日、書いてあることは、読んでも分からないと思う。
一緒に稽古した人以外は。
「あせることを捨てよ。
取り越し苦労を捨てよ。
俗に言う、阿呆馬鹿になれ。
十を考えて迷うより、一つに精進して仕上げよ。
暇あらばよく寝よ。」---植芝盛平
はい、寝ます。
人体を剛体としてみた場合、重心位置は6:4のようであるが、
脚の負担する分は6:4ではないかもしれない。ということ。
骨格で支えることと、筋肉で支えることの違い。
バランスをとるということ。
両手持ち側面入り身投げ2
体の変更1は、脚で動いているのではないかもしれない。ということ。
両手の働き。
力を入れずに、動くこと。
無理な力を入れないこと。
両手とも、最初から最後まで、無駄働きをしていないこと。
順序良く動くこと。
胸持ち二ヶ条抑え2
押されても、一向に構わないこと。
フワリと、しかし、しっかりと抑えること。
小手の返し方。
そして、時間切れ。
などを説明しながら、一緒に理解していった。
全ては、呼吸力と体さばきに集約できる。かもしれない。
少人数だから出来ることである。
今日、書いてあることは、読んでも分からないと思う。
一緒に稽古した人以外は。
「あせることを捨てよ。
取り越し苦労を捨てよ。
俗に言う、阿呆馬鹿になれ。
十を考えて迷うより、一つに精進して仕上げよ。
暇あらばよく寝よ。」---植芝盛平
はい、寝ます。
2009年8月25日火曜日
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